例えば、子どもがずっとがんばってきた部活動
大きな演奏コンクールで
「金賞を取れなかった」という場合
あなたは子どもになんと声をかけますか?
アドラー心理学を学んでいるあなたは
「勇気づけるための言葉」を
探し始めるかもしれませんね。
「金賞は取れなかったけれど、とっても心地いい音色だった」
「あなたがずっとがんばってきたこと、知っているからね」
「結果は残念だったけれど、私の心に響いてきたよ」
結果ではなくプロセスに注目し
「あなたのことちゃんと見ているよ」
というメッセージが伝わるこれらの言葉は
きっと大いに勇気づける言葉になるでしょう。
ただし
本当に子どもが落ち込んでいるなら、です。
なぜなら、実際には子どもの気持ちは
聞いてみないとわからないもの。
「今までで最高の演奏ができたことに心から満足している」かもしれないし
「このメンバーでやり遂げたことに、この上ない達成感でいっぱい」かもしれないし
「結果はあくまで他者から評価であって、自分の中では100点満点だと本気で思っている」
かもしれないのです。
この話、実は先日、実際にあった
私の高校2年の娘のエピソード。
「残念だったね、でも・・・」
と、言いかけたところ
「え? 全然残念じゃないよ、最初の出だしの音の響きからもう素晴らしすぎて・・・」
と、上に書いた3つの点において
どんなに今回の演奏が自分にとって
素晴らしかったのかを娘は語り
審査員が評価した結果は
確かに一つの見方ではあるけれど
今の私たちにとっては
「残念」という言葉は
ちょっとズレているよ
と、諭されました。
「結果」だけ見て
そうに違いない、と思い込み
子どもの感情を先回りしていたことを
反省しています。
「金賞ではなかった」という事実を
どう捉えているのかは
その子どもの年齢
そのタイミング
その成長過程で
全く違うものになるでしょう。
アドラー心理学の「認知論」の考え方を
改めて子どもに教えてもらいました。
しかしながら
今回のことで得たものがもう一つ。
親が勇気づけるポイントを
意識して関わり続けると
その視点は
子どもに「受け継がれる」ということです。
仲間と切磋琢磨する楽しさを
謳歌しきった娘の表情は清々しく
3年生と最後のコンクールで
最高の演奏ができたこと
そこに至るまでのプロセスで
娘なりに多くを学んだことを
物語っていました。
アドラー流子育てのゴール
「自立」と「調和」へ向かう道のりは
親と子がお互いを対等の存在として認め合い
尊重し合いながら進むもの。
今度からは、「勇気づけ」ようと意気込む前に
「あなたはどう感じている?」
と、聞いてみようと思います。
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