高校1年生の娘の話ですが、二学期が始まって2週間ほど経ったある日、帰宅して突然
「吹奏楽部に入ってきたの。今日はもう練習に参加してきたよ」
娘は、小学校4年生から中学3年まで吹奏楽部に所属しており、高校に入っても同じ楽器を続けたいと入学式の日までそう言っており、体験入部は参加していたのですが、二の足を踏んでいたのです。
勉強と部活の両立、休日の確保、先生とのコミュニケーション、先輩との関係・友人との関係・・・。
新たな環境の中で、彼女なりに考えるところがあったと思います。
親の正直な気持ちとして
「せっかく続けてきた音楽をまた聴くことができたら嬉しい」
というのは実はありましたが、いつも娘に伝えていたのは
「どんな選択をしても、あなたが決めたことを私は応援するよ」
ということでした。
中学校の時の同じ部活動の子から誘われても、散々悩んだ挙句に断ったことは聞いていました。
英語のクラブに入ったり、暗唱大会に出場したりと、自分の得意なことで新たなチャレンジをしようとその過程を見守っている最中でもありました。
そこへきて、この大きな決断。
「もう1回がんばる決心をしたんだね。このタイミングで入部したのは、何かあったの?」
と、率直に聞いてみたところ、興奮した様子で矢継ぎ早に話してくれました。
どうやら
・時間がたくさんあると、ダラダラしてしまって無駄な時間を過ごすことが多かったこと
・吹奏楽部のクラスメイトである新しいお友だちが誘ってくれたこと
など、理由はいろいろあったようです。
帰宅時間が遅くなったり、これまでゆっくりしていた土曜日に学校へ行くことになっても
「吹奏楽部員であることが嬉しい。どんどん(演奏の)感覚が戻ってくるのが楽しい」
と言います。
経験者ということもあって新しい役割も任されてやることになったことも
「みんなのために私ができることだから、がんばってやろうと思う」
と生き生きと話してくれました。
「嬉しそうだね~」
「忙しそうだけど、張り合いが出てきた感じだね」
と伝えながら、毎日の娘の話をただただ聴いています。
子どもは、自分の力で決断します。
学校が決めたタイミングや、多くの子どもたちがする時期とは違うこともあるでしょうけれど、親にできることは
「あなたはあなたの力で考え、決断することができる」と心から信じて待つことだけだと今回も思わされた出来事でした。
また娘が話してくれた
「所属していること」
「その中で自分が役に立てていること」
アドラー心理学の目指す共同体感覚を思い出さずにはいられませんでした。
人は人と関わり合いながら生きています。
子どもも、大人も、誰もが共同体感覚をもてるうようなつながりをもって生きることができる世の中でありたいと思います。
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